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余韻がいつまでも響くパスタ「ponte」

余韻がいつまでも響くパスタ「ponte」

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とにかく沖縄で一番美味しいと思ったパスタの話がしたい。

フラッシュバックのように思い出してしまうあの食感。

噛み締めるたびに反抗してくる麺を歯で射抜くあの快感。

トンナレッリというそのパスタは卵のパスタ。

麺の切り口は四角く、ソースがしがみつくように絡むのだ。

自家製の県産豚肉の塩漬けの甘い脂がペコリーノロマーノと混ざり合い、

妬みを隠せないブライズメイドのようにトンナレッリを惹き立てる。

思い返すだけで、えも言われぬ溜め息が出る。

間違いなく私が物思いに耽るときは、あのグリーチャを懐っているのだろう。

もう一度あの麺を前歯でプツンと噛みちぎりたい。

こんなに焦がれることは決して大袈裟じゃない。

私だけじゃないはずだ。

そりゃ、脳裏にあの動物的な甘い香りと余韻が棲み付いてしまったんだもの。

その「ponte」というお店は土曜日に現れる。

「この道具で作ります。」

このキタッラという道具でトンナレッリは生まれる。

「キタッラ」はイタリア語でギターという意味。ギターのように弦がピンと張っていて、この上に薄く伸ばした生地をのせ、綿棒で押し当て下へ落とすことで成形されるという。(この道具から因んで麺自体もキタッラと呼ぶ地方もあるらしい。)

優しく説明してくれるのは「ponte」の店主、棚橋雄三さん。

23歳の時に沖縄に移住したという。

「沖縄が好きなんですよね。高校の修学旅行で初めて来てから、何回か来て。サーフィンがやりたいとかそういう目的がなくて、ただ沖縄の空気感と人が好きでね。」

黙々と手を動かしながらポツポツと語ってくれた。

「父親から衣食住の仕事をしろと言われて。どこ行ってもある仕事を探しなさいと。」

手に職をつけるべく、最初はファミリーレストランのキッチンでバイトを始め、洋食をホテルのキッチンで学び、その後沖縄屈指のレストラン「BACAR」にて7年半と、気づいたら約20年ずっと飲食業界にいた棚橋さん。

初めて作ったパスタのことを覚えているという。

粉と卵を混ぜて、うまく生地をカットできずに不器用に包丁で切った。

出来上がってみると、それは一番心に残る「この皿の中のもの全部、自分で形にしたんだ。」という感動だった。

棚橋さんのパスタ物語は意外にも「まかない」から始まった。

「美味しいものを食べたい、作りたいっていうのがあって。本を買い漁って勉強して、まかないでBACARオーナーの仲村さんに食べてもらってました。そこからですね。」

それからコツコツと続け、調整し、進化させていった。

今まで自分が作ってみたパスタが果たしてどうなのか。

イタリアに行って確認作業を行ったという。

そこで出会ったローマのグリーチャ。

「180度考え方が変わりましたね。全然違った。ぶん殴られた気分で。」と笑った。

「今でも鮮明に覚えてますよ。なんの洋服を着て、何を手に持ってたのかも全部覚えてます。」

余程の衝撃だったに違いない。

「生地を食べる感覚なんですよね。具は最低限で麺の補助だったんです。」

ポツリと言った言葉には爽快感と哀愁が感じられた。

ローマ以外にも、フィレンツエ、ジェノヴァ、シチリア島などいろんな地域のパスタを食べ歩いたという。

クラシカルなレシピも隣の州にいくと全然違ったりと、地方によって全く異なるパスタの変化を見た。

「日本の具だくさんなパスタも、それも文化だからそれでいいんだと思うんですよね。ただ単にこういう考え方があってもいいんだっていう発見が良かった。」そういうとニコリとしながら黙々とお皿を拭いた。

その土地にあった料理に正解も不正解もない。

答え合わせと言わず、あえて確認作業という風土へのリスペクトを忘れない棚橋さんの繊細さが香った気がした。

「沖縄の魅力はね。カッコよくいうつもりは全くなくて、沖縄には音があるんですよ。自分の中の音なんですけどね。来た時に感じるんです。テレビで同じようなことを話している人がいてすごい共感したんです。空港から出た時の、ドッとくる感じ。あれがたまらなく好き。」

そういうとその表現を無様に汲もうと目をまん丸くする私の顔を見てふふッと笑った。

あまりに想定しなかった形容が出てきて呆気に取られた私は、風土のリズムのことなのかしらとモゴモゴ独り言を言いながらメモをした。

料理は五感を使うからこそ、普段我々がうまく調理できていない表現が発達しているのだろう。沖縄のおっとりした空気感のことなのか妄想が膨らむが、またゆっくり時間をかけてその言葉を訪れたいと思った。

-マンディッリ(シルクのハンカチ)のペスト・ジェノベーゼ

「大切にしていることは、真面目にやることですかね。なんでも真面目に。雑になると仕事自体が雑になるんですよ。」

とってもシンプルだが潔さが耳に残る。

「生地を作るときも常に誰かに見られている意識をしています。オープンキッチンっていい意味で緊張する部分があって、それが所作に出るんです。人って意識すると綺麗にやろうとするんですよね。所作が綺麗な人って仕事が綺麗じゃないですか。僕は綺麗が美味しいに繋がると思うんです。」

「料理って出るんです。ほら、怒っていると運転にも出るみたいに。怒ってる人ってスピード出すじゃないですか。ガツンとくる料理も好きなんですけど、料理も同じでその中に優しいところがあった方が抜かりないというか。強さだけではない塩梅が大事なんです。」

-トンナレッリのアマトリチャーナ

インタビューの中で、棚橋さんから何回も出てくる「塩梅」という単語。

卓越した腕はもちろんのこと、更に上をいくバランス作りは作り手の心構えから担う所作で味がシマるのかもしれない。

その名の通り塩と梅が由来の「塩梅」だが、雅楽の篳篥(ひちりき)の代表的な奏法も「塩梅」というらしい。同じ孔を押さえながらも、息遣いや吹き込み方、唇の位置で音高を変えることができるという。

それは同じ作法でもコンディションやメンタリティーで、奥行きのある物を作り出すことができることとなんら変わらない。

「自分は余韻がある料理が好きなんです。」

最初の一口で美味しいと言ってくれるのも嬉しいけど、格別に嬉しいのはお店を出た後に「今日美味しかったな」って感じてもらうこと。

後に残る塩梅や余韻を日々大切にしているという。

「そういう仕事がしたいですね。」そういうと穏やかな目で確認するようにうなずいた。

-トンナレッリのグリーチャ

今のところ「ponte」は毎週土曜日に発酵研究所(宗像堂)を間借りしてランチのみの営業をしている。

お店を構えるにあたって、なかなかピンとくるスペースにまだ出会えていないと語る棚橋さん。

「自分が作る10年後のパスタはどんななんだろうっていうのは興味深いですよね。」と笑った。

成長と共に味覚が進化するのと一緒で、レシピも少しずつ変わっていく。

その時(歳)はこう考えていたという軌跡がわかるので、昔料理長にレシピはとっておけと言われた話をしてくれた。

10年後はきっとまた全然違う景色でパスタを作っているに違いない。

その時も間違いなく私は「ponte」の胸いっぱいに響くパスタを堪能し、その残響に心踊らされるだろう。

Photo by Makoto Nakasone

Text by Michiko Nozaki

店舗情報:

ponte

@ponte_scaffali

(*最新の情報は店舗のインスタよりご確認ください。)

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